株式会社東京R&Dは、次世代車の研究開発では日本でも有数の存在であるだけでなく自動車の高い総合開発能力を持ち、レーシングカー開発や、カーボン・コンポジットも得意分野としている。設立は1981年で、2000年にはスポーツカーのVEMACも生産化している。とくにEV関連の研究開発に注力し、1984年以来、国内外自動車メーカーのほか公共機関からの受託研究開発などにより、非常に多くの注目すべきEV車両を世に送り出している。
8月31日の勉強会当日は、CEOの小野昌朗氏をはじめ、山崎章弘氏、福田雅敏氏により、同社の創立以来の事業展開についての紹介があり、その後、兵頭淳氏により、今回の主題である最新のEV事情について講義していただいた。以下、今回勉強したことをレポートする。
これからのEVはどうなるんだろう
EVには、電気自動車(BEV)、ハイブリッド車(HEV)、プラグインハイブリッド車(PHEV)、燃料電池車(FCEV)があるが、世界の自動車メーカーの最新動向は、PHEV、BEV、FCEVに注力し、プラグインでないハイブリッド車(HEV)が軽視される傾向がある。その背景にあるのが北米カリフォルニアのZEV法であり、各メーカーごとに総販売台数に対して一定台数のZEV(ゼロエミッションビークル)の販売を義務づけているが、BEVとFCEVのほかにPHEVもZEVの一種と認めながら、プラグインではないHEVは最近になって除外した。
また欧州の規制はEV等の種類は問わないので、結果的にディーゼルエンジンなど高効率内燃エンジンを使う車両も有力視され、それと合わせてコストの安い48V系のマイルドハイブリッド開発に力を入れてきていたが、燃費不正問題などのために内燃エンジン尊重の潮目が変わって、欧州でも北米と同じ方向性になり始めた雰囲気がある。
ZEV法では、ZEVを1台売るごとに、クレジット、補助金がメーカーに支給され、義務を満たさないと巨額な罰金が課せられる。クレジットはZEVの仕様ごとに定められているが、異例な大容量の100kWhのテスラは、そのクレジットを最大限にするよう仕様を設定した可能性が考えられる。やはり大容量で注目される60kWhの2代目シボレー・ボルトもZEV法に対応した仕様設定と推測されるが、今後のEVのベンチマークになる可能性がある。
ZEV法に基づく将来予測ではBEVとともにFCEVが増えていくが、現在の水素の製造実態に従えばFCEVのWell to WheelでのCO2排出量は必ずしも少なくない。ZEV法では将来は水素製造法がCO2排出の少ないものになると織り込んでいるとも考えられるが、裏を返せば今後は水素のクリーンな製造法が重要になる。
ところで肝心のバッテリーの今後は?
バッテリーは脆弱なもので、温度を適正に保たないと効率が下がり、劣化が急速に進む。自動車で求められる「10年15万km」は従来の電池の常識をはるかに超え、しかもそれが過酷な使用条件下である。それに対応するには温度管理を厳格にするしかない。近年のEVやHEVのバッテリーは温度制御が極めて緻密である。
バッテリーはとにかく状態監視(SOC、SOF、SOH)が重要。バッテリーのモデル化、つまりバッテリーの状態を計算でシュミレーションする技術は、従来難易度が高かったが現実的になってきており、目下世界の自動車メーカーが注目している。
リチウムイオンに続く次世代の電池は、全固体電池が有力で、内部短絡によるショートが起きにくく、非常に安全性が高い。特徴としてはエネルギー密度が高いいっぽうパワーが出にくいが、並列接続にすればよいので問題ない。リチウム空気電池はさらに高性能で、少し前に次世代電池と話題になったが、実用化はまだ待つ必要がありそう。
急速充電の規格については、日本のCHAdeMOが世界的に優勢ではあるが、テスラの展開するSuperchargerも非常に多く、注目に値する。このほか、非接触充電、日本のEVの優位性、などについてもレクチャーがあった。
報告:武田隆
写真・図:佐久間健/東京R & D
各種EVの位置づけ。「PHEV」と「BEV」、「FCEV」が目下有力視されている。ただし現状の環境性能はWell to Wheelで見ると変わることもあるとのこと。
ZEV法のクレジットについてのグラフ。テスラはクレジットの"満額"を獲得できるというわけである。
ZEV法のロードマップによると、「HEV」は今後減り、その次には「PHEV」さえも消えて、「BEV」、「FCEV」だけがZEVとして残ることになる。
欧州の規制ではCO2削減量のみを規定し、車両の種類などは問わないことが特徴。
市販されたスポーツカーのVEMAC。スーパーGTに参戦してレースでも活躍した。
東京R&Dとグループ会社ピューズのスタッフに講師をしていただいた。CEOの小野氏(写真・中央)は元々はレース界気鋭のエンジニアで、マキF1の設計にも携わった。