ゴルフの「TSI+7速DSG」の意味するもの

宮本 喜一

 20数年前、当時所有していた乗用車に乗り込むとき、小学生の私の娘がこんなことを言った「足は2本しかなのに、なぜ、クルマのペダルは3本あるの?」
一本とられた、と思った。先入観に支配され、考えたこともなかった。
本気で(それも庶民のために)これに答えたメーカーがあった。

人間の肉体的能力を超えた機能をメカニズムに与える。人間の頭ではわかっていても、肉体的物理的に不可能なことを可能にする。他の工業製品同様、自動車もこのような発展の歴史をたどってきた。それによって、ますます扱いやすく便利で安全な(そして速い)乗り物へと進化してきた。

 自動車について言えば、その絶好の例はABS、つまり自動制御ブレーキシステム(わかりやすく言えば、アンチロックブレーキ)だろう。急ブレーキで車輪をロックさせない所謂“ポンピング”操作は、人間よりも機械の方が正確でかつ回数も圧倒的に多く高い効果を発揮することは、言うまでもなく常識だ。そんなABSは不要、自分で車輪のロックを防ぐ操作ができる、という酔狂なドライバーはもはや、ひとりもいないだろう。

 VWはトランスミッションの領域で、このABSと同類項を“現実”にした。
ただし、新しいトランスミッションの開発、というだけでは、それは単に、これまでのテクノロジーのある意味で延長線上の所作ということになる。
 
今ほど、自動車メーカーに対する社会的な要請が厳しい時代はない。1)移動手段としての自動車の性能を向上させるという要求の一方で、これと矛盾することの多い 2)環境性能を同時に向上させる、しかも 3)企業としての利益も確保するという、三重苦の中で各社は経営を続けている、と表現してもあながちはずれてはいないだろう。

 したがって、自動車メーカーは関連する要素技術を持つ他の企業や機関と連携して製品開発にあたっている。当然のことであり、とくに自動車の重要機能コンポーネント、たとえば、トランスミッションや燃料噴射装置あるいは各種の電子装置といったものについては、専門メーカーの開発した製品を取り入れる手法が常識的にとられている。乱暴な言い方をすれば、ある意味では一面で、個々のコンポーネントの組み合わせと捉えて全体を構成する、コンピュータ的な製品になっている。

 具体的に言えば、消費者の要求あるいは社会的な要請また規制に応えるために、個々の要素技術を開発することになる。ハンドルが重い?それでは電動パワーステアリングを。ブレーキのロックをなんとか解消して安全に走らせたい?それではABSを。マニュアル・ミッションは扱いにくい?それではA/T、それがたったの3段では不足だ、ならば4、5、6と多段化しよう。CVTもある。排気ガスの浄化が必要?それではエンジンの燃焼を研究しよう。触媒を考えよう。電気モーターを使おう。こうした個々の要素を完成車に組み込むわけだ。
  
 しかし、このVWのテクノロジーは、こうした要素技術を個別に追いかける発想とは根本的に違っているように思う。自動車をひとつの有機体ととらえ、それに対する社会的要請と、そしてVW自身の理念・目標の両方に対する解を、製品全体として考える。その解を実現するために必要な個々の要素の性能要件をあぶり出し、総合的に可能と判断した解に対して集中的に開発を進める。もちろん、そこでは企業としての理念、戦略などとの徹底したすり合わせが行なわれる。
その結果が、このトランスミッションDSGに新しい心臓1.4LTSI(シングルチャージャー)を組み合わせたメカニズムなのではないか。

 上の 1) 2) 3) の要請を同時に満たし、その上ドライビングが楽しいという趣味性の世界までも満足させている。このメカニズムを搭載したゴルフに試乗した。そして感じた。これは間違いなく一般消費者にとって“State of the Art”。これを実現させたのは、自動車を「独立した要素の集合体」ではなく、「すべての要素が複雑に絡まりあう密接不可分の有機体」として捉える発想ではないか。医学の世界で言えば、前者は西洋医学、後者は東洋医学的発想だ。悔しいことに、後者は本来、日本のものづくりの“アドバンテージ”ではなかったか。
   
 個々の人間の知恵に、あるいは自動車のエンジニアの資質について、彼我にそれほど差があるとは思えない。言い古されていることではあるけれど、要は、その知恵をどのような理念のもとに使うか、ということだろう。

 このテクノロジーはVWアウディの永年の戦略から生まれた成果であり、これからも進化を続けるに違いない。そこには、彼らが自分たちの知恵と工夫を重ねることによってどんな製品を世に送り出し、自動車業界の中でひいては社会的にどのような立場になりたいのか、なるべきなのか、を真剣に考えている姿勢が見える。
    
 最近、企業の社会貢献、企業市民、という概念が喧伝されるようになってきている。確かに企業が法律を守ったり、ボランティア活動や慈善活動・資金援助をする、といったことも大切だ。しかし、しかし、自動車という製品が、われわれの住んでいる世の中に大きな影響を与えている以上、自動車メーカーの本来的本質的な社会貢献は、社会からの複雑な要請に見事に応えるだけでなく、その期待値をも超えようとする企業の理念を体現した製品を開発し、それを広く世の中に普及させることではないのか。つまり、メーカーはその製品そのもので社会的使命を果たし、自らの存在意義を世に問うのが本分、ではないのだろうか。今回、VWからこのことを改めて教わったような気がする。

 その意味でも、この“State of the Art”のような製品を、驚くべきことに、ゴルフラインアップの“最低”価格のモデルに投入するというVWの姿勢に、敬意を表したい。そして、われわれ庶民としては、フォルクスワーゲンはこれからもフォルクスワーゲンであってほしいと思う。そう、乗用車のペダルは2本、なのだ。今度は、VWに、“一本とられた”。


最終更新日:2010/04/16