命の大切さ

糀屋 大輔

 僕が赤ん坊の頃、死ぬことを美化した戦争が終わり、日本中で命の大切さを教えだした。その教育効果が今確実に実を結んでいることを痛切に感じる。
 
何かといえば自動車が歩行者に突っ込む事故が余りに多いからである。命は大切だと教えられ、何よりもまず自分の命が大切だ、と思っている日本人が大多数なのだろう。本当は他の人の命を救うことが大切、と教えるべきところ、自分の命も大切、と教えてしまった。この間違いは取り返しがつかない。
 
 細い路地でスピードを出しすぎた車が幼稚園児の列に突っ込む。運転者は自分の命が大切とばかり幼児の列に突っ込むのである。こうすれば大切な自分の命は守れるのだから。他人の命が自分の命より大切、と教えられていれば電信柱に突っ込むことで自分の命は犠牲にしても幼児の命は救えただろう。
 
 自動車を運転する者の一番大切な心構えは、自分は凶器を操っている、という自覚である。これは昔刀を帯びることを許された武士ならば皆持っていた筈の自覚である。刀を持つことを許されたということは、この自覚を持つことであった。自動車も全く同じである。自分は死んでも歩行者は殺さない、という強い心を持たない人に自動車は渡せない。
 
 命は大切である。しかし自分の命よりも他人の命がより大切である、という自覚無くして車のような凶器となりうるものは運転を許すことは出来ない。幾ら自動車に各種の安全装置をつけても所詮無駄である。自動車を走る凶器としないためには、これまでより更に徹底した教育をしなければならない。自動車の運転は現代の真剣勝負なのだ。


最終更新日:2010/04/16