独自のスタイリングを持つユニークなクルマを次々と発表し続けている光岡自動車。6月21日には特別仕様車「ビュート・モダン」と「リューギ・モダン」を同社麻布ショールームで発表したが、その発表会後、RJC勉強会として同社の創業者である光岡進会長に特別講演をしていただいた。
まず光岡進氏の略歴から紹介しよう。光岡氏は昭和14年3月、富山県富山市生まれ。昭和32年富山工業高校を卒業後、富山日産自動車に入社し、ここから自動車との関わり合いがスタートする。その後、富山日野自動車に転職後、昭和43年に独立し光岡自動車工業を創業。昭和57年に初のオリジナルカー「BUBUシャトル50」を発売、昭和62年には「BUBUクラシックSSK」を発売し、レプリカタイプの改造車製造を本格化させる。そして平成8年には「ゼロワン」型式認定を取得し、国内10番目の乗用車メーカーとなり、今に至っている。今年で創業50年、78歳となった現在も同社代表取締役会長として、光岡自動車を牽引する原動力として活躍中だ。
さて、他の自動車メーカーにはないユニークなクルマを次々とリリースし続けている光岡自動車だが、その原点は氏の少年時代に遡る。自身によれば、運動ダメ、勉強ダメという光岡少年が朝から晩まで熱中していたのが飛行機や船、自動車の模型。当時は周りで模型エンジンを持っているのは氏一人だけだったというから相当なものだ。 中学校では仕方なく科学部に入ったもののつまらなく、「早く家に帰って模型飛行機を作るから忙しい」と反発したところ、担任教師が理解を示し「ならば模型飛行クラブを作ろう」ということになったというから面白い。この予想以外の展開に「世の中、言ってみるもんだな」と思ったという。
さらに、ゴム動力の船で航続距離を競う大会で、光岡少年はもう一つ発見する。ゴムをいろいろ工夫しても船は数メートルで止まってしまうが、偶然、飛行機のプロペラを装着しゆっくり回したところ、航続距離が飛躍的に伸び、大会でも優勝。そこで常識に囚われないこと、常識を疑ってみることを体感したという。
このような原体験を聞くと、その後の光岡氏と光岡自動車の活躍も納得できる。そのトピックはやはり、型式認定を取得し、国内10番目の自動車メーカーとなったことだろう。平成6年に組立車として認可を受け発売した「ゼロワン」は思わぬヒットで約300台もの注文を受けたが、当時の運輸省はそれだけ販売するならメーカーでなくてはならぬという方針。 そこで交渉するものの、やはり一筋縄ではいかない。いつの世も役所は前例主義である。明確な基準はないが、メーカーになるには信用度が必要などと言い、なかなか先に進まない。だが、訴訟も辞さずの姿勢を見せた結果、急に話が進み、メーカーとして認可されたという。まさに「世の中、言ってみるもの」である。
その後の同社の活躍ぶりは広く知られる通り。「オロチ」、「卑弥呼」など独自のスタイルを持つユニークなモデルをはじめ、オリジナルのEV「ライクT3」も手掛けるなど、光岡氏の自動車にかける情熱はいまだ健在。これからの同社の取り組みにも大いに期待されるところである。
報告:鞍智誉章
写真:怒谷彰久
光岡会長(右)と光岡社長。二人は兄弟。「私は正面から突破します!」と会長。紆余曲折、山あり谷ありの自動車業界を生き抜いてきた進会長の話は面白く、楽しい。
手前がリューギ。この顔が霊柩車にも合うらしく、ワゴンの霊柩車の評判もいい。現在同社の年産は約500台。本社は富山市。「クルマ馬鹿」と自らを呼んで恥じない。
特別仕様のビュート。シート表皮のデザインなどでスペシャル感をアピールする。
このエンブレムも特別仕様のひとつ。ま、光岡自動車自体が特別な存在ではある。