メーカーコンフィデンシャル
創業50周年記念 光岡 進(光岡自動車会長)特別講演会 2
「ゼロワンの型式認定が取れたときは、うれしくて車検証入りの年賀状をつくった

特別講演会はリューギ(写真)、ビュートの特別仕様車発表会の後で行われた。写真の紳士は光岡章夫社長。リューギの縦グリルは霊柩車にも向いていた。

講演は光岡進会長が担当。電話線があるだけの農家の片隅から10番目の自動車メーカーへの道は遠かったが、結果良し。今年のロンドンショーにも出展。

会長の講演後に行われたRJC会員と光岡自動車VIPたちとの懇親会。

 

 今年、創業50周年目の節目の年を迎える光岡自動車が、その記念事業のひとつとして「光岡進会長特別講演会」を、6月21日にミツオカギャラリー麻布で行いました。

 当日のプログラムは、第1部・コンパクトセダンのビュート、リューギ特別仕様車2車種の発表会、第2部・特別講演会、第3部・会長、社長、霊柩車「おくりぐるま」(特販事業)事業担当取締役、国内販売、デザイン、広報担当のトップといった光岡自動車首脳陣6が一堂に会した懇親会という3部構成。

 メインイベントの特別講演会には、この日、本社がある富山県から北陸新幹線「かがやき」で上京した光岡自動車創業者で現役会長の光岡会長が、登壇しました。

 光岡会長は、昭和43年2月、28歳で光岡自動車工業(当時)の創業時を振り返り「電話線がある農家の片隅を借りて会社を立ち上げたから、馬小屋で創業したようなもんです」と往時を振り返りました。昭和57年、42歳の時に初のオリジナルカー「BUBUシャトル50」を発表、発売した動機については「大阪のオークション場でイタリア125ccのクルマを見かけたのがきっかけ。当時は届け入れ制で型式認定がなくてもOKだったんですよ」と話し、その後、ミニカーを続々リリースしました。

 平成6年、54歳の時に「ゼロワン」の生産に着手。国内10番目(当時)の乗用車メーカーへの道を歩み始めることになりました。「最初は大きな望みは持っていなかった。型式も組立で99台の生産、販売を予定していたところ、300台の注文が入った。そこで型式認定の取得のために、富山から霞が関に通うことになったわけですが、『あれ出せ、これ出せ』と言われて毎回かなりの厚さの書類を持参して、半年以上も引っ張りまわされました」。

  ようやく型式認定が取得できたのは、2年3ヵ月後の平成8年4月、光岡会長57歳の時のことです。

「うれしくてうれしくて、ゼロワンの車検証の写真を入れた年賀状を作り、まんじゅうを配りました」と、まるで昨日の出来事のように振り返りました。

 その後、光岡自動車のイメージリーダーカー「オロチ」のモックアップを東京モーターショーで初公開したのが、平成13年、62歳の時のこと。

  「亡くなったおっかちゃんからフェラーリ・テスタロッタみたいなカッコいいクルマは作れんの?と言われて、そんなクルマは簡単に作れるって言い返したのが、そもそものきっかけだそうです。

 光岡会長と光岡自動車の50年の歩みを駆け足で振り返っていただきましたが、どのエピソードにもドラマ性があり、光岡会長の素朴な人柄とクルマに対する熱い思いが一貫して感じられました。

報告&写真:宮内 正人

 

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